別れの意味

付き合っては別れる。

この体験、見捨てられ不安の強い私には不向きでした。

 

『別れる=見捨てられた』

 

そんな解釈をしてしまうからです。

 

親からも誰からも愛される価値のない存在なのだと

そんな風にしか考えられなくなっていきました。

親と彼氏

結果を言います。

彼氏が親にはなり得ません。

 

私の純粋な子供時代も過ぎています。

自分に向けられた愛情も真っ直ぐ信じきることはできません。

自分の両親にしたように、試し行為も行っていたのだと思います。

 

本人からしてみれば、すべて無意識です。

依存も求めてしまった愛情も何もかも。

 

急接近

人の顔色を伺って生きていました。

また、自分を見てくれないという欲求に飢えていたこともあり

人のちょっとした心境の変化にはとても敏感です。

 

そんな能力のおかげでなのか

人との心の距離を縮めるのが早いと

高校の友人たちは教えてくれました。

 

そして、彼氏というものもできました。

生まれて初めて、自分のそばにいてくれるという存在に

 

私は甘え、依存しました。

両親から受けるべき愛情...100%の愛情を

無条件の愛情を求めていました。

 

案外恵まれてるんです

ずっと孤独みたいなこと書いていますが、友人には恵まれました。

 

私の友人関係は深く狭くです。

今では

この先何があっても友人でいてくれると思っています。

 

心の色々に初めて理解を示してくれたのは高校の友人でした。

 

依存もしましたし、

見捨てられ不安に負けて、遊んでる途中に勝手に帰ったり

切り傷見せあいっこしたり...

 

私に人との付き合い方を学ばせてくれたのも

高校の友人たちです。

人との距離が近すぎる私と

うまく距離を取ってくれていたので

関係を続けることが出来たと思います。

 

自殺を決意したひと

自殺願望願望強くなっていくと

今度は具体的な決行プランを考えるようになりました。

 

方法は大量服薬と決めていましたので

あとは日程です。

見つかりにくく、なるべく迷惑が掛からない日程を選びました。

 

本気で死のうと思ってからは

とにかく悟られないよう、いつも通りに振る舞いました。

止めてほしくないから。

 

阻止されるのは、止めようとするのは

両親の自己満足だと思っています。

子どもが自殺...

おそらく、世間的に良い印象は抱かれないでしょう。

その頃の私はまだ未成年だったので

育児放棄やらなんやら疑われることもあるかもしれません。

両親は自分たちを守るために、私の自殺を止めるだけ。

何も変わらないのだから。

ただ、苦しむ期間が延びるだけです。

 

自殺することをモチベーションに耐えていたので

阻止されてしまっては、絶望しか残りません。

 

...まぁ、今生きてるので

この自殺はもちろん失敗に終わりましたよ。

 

リストカットをやめようと思ったとき

決して前向きな理由ではありません。

ただ、本当に死にたいと、そう思ったからです。

 

リストカットで死ぬのは中々大変です。

動脈と血が止まらない対策と...

 

辛くなったら自殺すればいい

 

そう思うようになってから、自傷行為は減りました。

そして、自殺願望願望どんどん強くなっていきました。

自己否定が進んで

辛くなくなって、自己否定はどんどん進みました。

何かあれば、すぐに自分を罰しました。

自傷行為です。

 

自分を傷付けたり追い詰めることが正しいとさえ思っていました。

自己否定から唯一救われる時間でした。

イライラしたり、落ち込んだときは

自分を追い詰めたり、傷付けることで心が落ち着きます。

頻度はかなり減りましたが、今もその傾向はあります。

 

慢性化してないので

いまのところは無理に改善しようとは思っていません。