慣れって怖い

我慢に慣れてくると、今度は辛いこともわからなくなります。

辛い気持ちに慣れてしまうんです。

 

本当は辛いのに【辛いことが普通】の状態なのです。

そうなるともう...

ストレスが溜まっていることにも気付けなくなっていきます。

そして、自分の心にどんどん鈍感になっていきます。

 

辛いのは、まだ辛い状態に慣れていないからです。

辛くなくなってきたときの方が厄介でした。

 

何せ、辛いという自覚が全く無いのです。

本人からしてみれば、いつも通り。普通なんです。

こころの状態が悪化しても

辛い・苦しい気持ちが原因だとは考えも及びません。

そんな気持ちをも自身で否定してしまうのです。

辛い気持ちを受け止める。

私の気持ちを受け止めてくれる存在が欲しかった。

 

この経験のおかげで

『人の話しを聞く』ということをきちんと知りました。

これが案外難しいのです。

 

聞いているはずなのに

聞いていないと怒られることありませんか?

私はあります。

 

自分の意見を捨てて、相手の意見に同意しなければ怒られていました。

 

おかげさまで、自分の意見を押し殺すことになれました。

聞こえよく言うならば、相手の意見を尊重出来る人間になりました。

これを尊重と言って良いのかどうかは疑問が残りますけどね。。

 

しかし、この両親の教えもまた

歪んだ考えでした。

自分の意見を押し殺すことに慣れた私は

我慢することが当たり前になってしまいました。

愛情の確認が取れない、その先には...

自己否定を繰り返していくうちに

生きてしまっている自分が悪い。

嫌な思いをしても全て、この理由で諦めがつきました。

 

例えば、なりふり構わず怒鳴り散らす人がいます。

その人はきっと、ずっとそういう生き方をしています。

それで生きてこれたのは、その人にそれだけの存在価値があるんだろう。

私に価値がないから怒鳴られるんだ。

 

こんな感じの思考をしていました。

何もかも自分が悪い。価値もないのに生きていて。

死ぬことが世の中のためだ

くらいに思っていました。

 

 

私に必要なのは

私の辛い気持ちを受け止めてくれる存在でした。

誰かに話しても、信じてもらえませんでしたので

独りで自己否定を繰り返し、ここまで拗らせることが出来たのでしょう。

 

試し行為=愛情の確認

試し行為とは、愛情の確認です。

しかし、愛情が確認出来ないと悪循環に陥っていきます。

 

愛情を感じられない気持ちが怨みへと変化します。 

そして感情も高ぶりやすくなります。

 

やがて、心が落ち着いているときにふと考えるのです。

【なぜ愛情をもらえないのか】と。

 

人に話したところで

・我が子に愛情が無い親なんているわけがない

・そんなことない、気のせいだよ

・気にしすぎじゃないのかな

そんなような反応を示されるのがほとんどでした。

 

親からの愛情が無いことを人に話しても

信じてもらえず、時には哀しい気持ちさえをも否定されます。

誰にも私が辛いことは理解してもらえません。

相談するのも止めて、自分で考えるようになりました。

 

【なぜ、親は私に愛情がないのか】

・要らない子だから

・中絶するのが怖かっただけ

・出来ちゃったから仕方なく産んだだけ

・世間体を気にして殺せないだけ

・生まれてくる時代を間違えてる

・生きてることが罪

 

私はこのように、自己否定することで

愛情が無いのは当たり前だと、自分を納得させていました。

 

繰り返される試し行為。

試し行為は何度も何度も繰り返されました。

愛情があるなら...

親なら...

 

積み重なった哀しみは、やがて

怨みへと変化していきました。

 

 

愛情なんか無いくせに、どうして私なんか産んだのか。

要らないなら作らなきゃ良かったのに。

世間体を気にして中絶しなかっただけでしょ

 

そんな想いで心は埋め尽くされました。

それでもまだ試し行為は続いています。

 

依存の第二段階

母に依存し、甘え続けていくうちに

母からの愛情を求めるようになりました。

『本当に私に愛情があるなら、○○してくれるはず』

そんな想いが溢れてきました。

 

しかし、私の思うような対応をしてもらえず

何度も母を怒鳴り散らしました。

期待を裏切られた、そんな気分でした。

 

そして...

 

あぁ。私はやっぱり愛されてはいないんだ

 

とひどく落胆していました。

 

たぶん、これが依存の第二段階であり

【試し行為】というものではないでしょうか。

依存?

自分で選んできた今までの人生に後悔はありません。

あの頃の私には、そうすることしか出来なかったと知っているからです。 

 

私は【普通】と言われる生活はあまり出来ていません。

 

大きく人生が変わり始めたのは摂食障害を発症してからです。

姉が夏バテで食事を摂れなくなった時期がありまして、

両親はそんな姉をすごく心配していました。

 

『ごはんを食べなければ心配してもらえる』

 

この考えが摂食障害のきっかけでした。

心配して欲しいから、私を見て欲しくて

徐々にごはんを食べなくなっていきました。

食べてもすごく少量です。3~4口くらい。

案の定、両親は私を見てくれたので満足しました。

そしたら今度は食べることが怖くなっていきました。

 

『食べたら見てもらえなくなってしまうんじゃないか』

 

お腹が空いても食べなくなり、やがてお腹も空かなくなり

両親はずっと私を気に掛けてくれました。

 

3ヶ月くらいこんな生活を続けていたら

体力も落ち始め、学校を休む日も出てきました。

学校を休めば一日中気に掛けてもらえます。

 

気に掛けてもらえる時間が増えると

今度は

どこへ行くときも母に着いていこうとしました。

たまに学校へ行っても、あと何時間で母の元へ帰れるか。

そんなことばかり考えていました。

 

きっとこれは母に対して依存をしていたのでしょう。